夏至が好きな話
一年ぶりの更新になりました。怠惰ですね。
新型コロナ禍が始まってすぐのGWに、暇だったので「これは米国株投資ブログにしよう!」と思い立ったわけですが、結局全然更新せず。
やっぱり世間の投資家のブロガーの人はすごいですね。なにって、継続力がすごい。株のリターンとかさておき、ブログが続いているのがすごい。投資してるだけでもなかなかの労力なのに、それを記事にしちゃおうっていうんだから、やっぱりエネルギーがすごいなと思います。
2020年5月に米国株ブログを始めたあと、結局もはやコロナバブルとなって株価は右肩上がりとなったため、私もなんだかんだ運よくその波に乗ることができました。
かといって調子に乗ってもあかんなとか、投資って難しいんだなとかいろいろ思うところもあるので、投資は細々続けておりますが、今は基本的に世界のさまざまな種類のインデックスETFに分散投資する感じで行こうかなと思っています。あんまり欲を出してはいかんですね。そんなわけでこのブログも投資ブログにするのはやめておこうと思います。たまに書くかもしれませんが、それは投資ブログというよりはあくまで日記レベルの話で。
それはさておき、なんで突然ブログなんて書き始めたのやらと思われるでしょうが(読者が存在するなら)、なんとなくツイッターでは短すぎるなと思うことがたまにあるんですよね。
自分はツイッターのほうがブログよりははるかにマメに投稿しているし、ツイッターのほうが向いてるなとかおもうのですけれど、時々、ちょっと短いなと思うんです。なんというか、単純に投稿できる文字数の問題というよりは、空気の問題というか。300文字打てればツイッターでもいいのかというとそうでもないというか。
ツイッターやインスタグラムのように、横並び(縦並び)のスクロールの中にある様々な流れの一つ、というよりは、ブログの記事って小部屋みたいな感じがするんですよね。複合商業施設ってよりは、街のちょっと入りにくい小さい古着屋とか、画廊みたいな感じっていうんですかね。正直、僕も他人のブログは読まないので、どこの馬の骨だかわからない人の小部屋にまで立ち入ってよくわからない長めの独り言を読むなんてなかなか今時流行らないよなーと思います。
そう考えると、自分がブログを全盛期でやっていた2005-2008年あたりというのは、不思議な時代だったなぁという感じがします。
ブログというか、CURURUというmixiのマイナー版みたいなやつだったんですが。
友達の投稿を見に行ったり、コメントをしたり、独特の空気感がありました。家に帰ってからも、いろんな人の家に遊びに行っているような感覚というんですかね。毎日ちょっとしたお祭りっぽい感じがしていました。
あの時代に匂いがあってくれればなぁと思うのですが、残念ながらインターネットの思い出には匂いがないのですね。
CURURUのことなんか調べだして少し懐かしい気分になってきました。
しかし、ツイッターでは短すぎる、なんてついさっき言ったばかりですが、いざ書き出してみると特に話したいことなんてなかったんじゃないか?という嫌な汗をかいてきます。
夏至について書こうと思ったのですが、夏至にたどり着く前に疲れました。
何の記事やねんこれという感じですが、
それではではまた。